COLUMN

2023.11.11

映画

韓国で会社を作りました

ここのところ、まったくコラムを更新できていませんでしたが、元気にはやっています。夏ごろから、会社の立ち上げと新たなビザの取得でバタバタしてましたが、やっとこさ、落ち着きました。
会社の名前は「MOMO CULTURE BRIDGE(モモカルチャーブリッジ)」。カルチャーブリッジは私のやっていることからしてすぐ分かると思うのですが、「なんでモモ?」とよく聞かれます。それは後ほど。

実は修士課程を終えた段階で、会社を作って投資ビザを取得しようとしていました。私はそもそもそんなに学問に向いているとは思えず、とはいえせっかく朝日新聞を辞めたのに、またどこかに所属するのも嫌で、フリーランスで活動を続けたかった。でも、フリーランスで取れるビザというのは、ほぼないに等しい。いろいろ調べた結果、投資ビザが一番活動の自由度が高そうだということで、挑戦しました。
順番としては、投資→会社設立→ビザ取得なのですが、修士を終えて投資の準備をしている段階で、コロナが広まってしまいました。いったん日本に帰ったのですが、いっこうに収まる気配がなく、結局、再び韓国に入るために取れるビザは学生ビザくらいということで、博士課程に進むことになりました。
そして博士課程の授業が終わり、論文が通れば卒業という段階で、いったん延期した投資→会社設立→ビザ取得に改めてチャレンジしたのですが、動き始めたのが7月で、結局投資ビザがもらえたのは10月下旬。その間、ほんとに無駄な時間とエネルギーを使い過ぎて、振り返るのも嫌だけど、誰かの役には立つかもしれないのでいずれ振り返りたいと思います。

写真は事務所

「モモ」にはいろんな意味を込めましたが、一つは、母が好きな名前だから。母は私が生まれたばかりのころ、私のことを「もも」と呼んでいたそうです。「もも(漢字があるのかは不明)」という名前にしたかったけど、父の反対(?)で「彩」になったそうです。修士が終わって会社を立ち上げようと考え始めたころ、母にも相談してこの会社名をいったん決めていました。ほんとにこの名前が好きなんだと思ったのは、孫娘(兄の娘)にも「もも」という名前を付けたがっていたそうです。なぜ好きなのかは聞きそびれて、果物の桃が特に好きなわけでもなく、なんとなく発音でしょうか。孫娘の名前も結局「もも」は却下され、生前母に話していた通り、会社名を「モモカルチャーブリッジ」にしました。
そして「母」という漢字は韓国読みで「モ」なので「母母(モモ)」。博士課程が終わったらどうするか、迷っていましたが、母が亡くなったのをきっかけに、一時は母が背中を押してくれた会社作り、もう一度やってみようという気になりました。
「뭐? 뭐?(モ?モ?)」という韓国語の意味も込めました。「なになに?」と好奇心を持って聞く感じの言葉です。
やる内容は、これまでフリーランスでやってきたことと大きくは変わらないのですが、本格的に事業として始めるということです。幸先よく仕事が入ってきて、ドキュメンタリー映画の通訳コーディネートを今月初めに5日間やり、韓国の大物監督たちのインタビューをセッティングして、通訳しました。毎朝6時起きでフラフラにはなりつつ、やりたいことをやっているという充実感。インタビューした一人の映画評論家の事務所には鬼才キム・ギヨン監督の直筆(しかも日本語)で「自分の好きな事を一生懸命する」と書かれた色紙が飾ってありました。41歳、残りの人生、自分の好きな事を一生懸命やります。

2023.7.17

映画

角田光代さんと韓国映画・ドラマのトーク!

昨夜(7月16日)は、下北沢の本屋さんB&Bで、作家の角田光代さんとトークイベントでした。5月末発売の拙著『現地発 韓国映画・ドラマのなぜ?』(筑摩書房)の刊行記念イベントなのですが、角田さんも韓国ドラマ(実はドラマより前に韓国映画をよく見てらしたそう)ファンで、私の新刊書評が載ったPR誌『ちくま』で角田さんが韓国ドラマにまつわるエッセイの連載をスタートされたというご縁でした。
新刊の献本送り先で、筑摩書房の担当者の井口さんが「角田光代さんにも送りますね」とおっしゃった時は、内心、うれしいけど、まあ、忙しいし読んでもらえないだろうな…と思ってました。そしたら、発売後にB&Bの舟喜さんからトークしませんかというご提案をいただき、それもお相手に角田さんはどうでしょうとおっしゃるので、びっくり。えええ、そんな、あり得ないと思うけど、言ってもらえるだけでもうれしいですという感じでした。そしたら角田さんOKですという連絡が来て、夢のようでした。
実は井口さんはB&Bから連絡が来る前から、B&Bでイベントできたらいいねとおっしゃってました。まずは私が個人的にお付き合いの長いチェッコリからイベントが決まり、その後B&Bの舟喜さんから連絡がありました。井口さんは「出版社からイベントを売り込むことはあっても、B&Bさんから提案がくるなんてすごい」と驚いていて、私もへえっと思ってましたが、後になって分かったのは、舟喜さん自身が韓国ドラマファンでした。やっぱりお店の方がイベントを楽しみにして企画してくれるのは、出演側としてもとってもありがたいです。
昨日トークの前に会った友達から「緊張してる?」と聞かれたけど、「なんか現実感ないから緊張もしない」と答えていたぐらいで、角田さんは実際にお会いしても、すごくナチュラルな感じで、不思議な気分ではありましたが、緊張感ゼロでした。

事前に舟喜さんから「基本的に角田さんの方から質問していただく予定です」と聞いていて、開始1時間前に打ち合わせで初顔合わせだったのですが、角田さんは開口一番「聞きたいことはいっぱいあるけど、今聞いちゃうとおもしろくないしね」と言って、結局本番まで何を質問いただくのか分からないまま、打ち合わせは雑談に花を咲かせました。
角田さんといえば『八日目の蝉』『紙の月』(以外にも代表作挙げるときりがないですが)。個人的にこの2作は小説も映画も大好きで、『紙の月』は今年韓国でドラマ化されました。実は8年も前から韓国で映像化の話が出ていたらしく、その間、キャスティングやスポンサーなどの問題で紆余曲折あってやっと実現したのだそう。あきらめなかったプロデューサーがいたんですね。コロナ禍を経て韓国ドラマファンになった角田さんにはかえっていいタイミングだったのかも。
ほんとにいろいろ質問いただきましたが、冒頭の「日本でネットフリックスなど配信で見ている韓国ドラマは韓国ではテレビでやってるんですか?」という質問、たしかに日本で見ているとそこのとこ分かりにくいんだなと思いました。
「愛の不時着」も「梨泰院クラス」もネットフリックスオリジナルって表示されるから、そう受け止めて当然なんですが、いずれも韓国ではテレビで放送されたドラマ。「イカゲーム」とか「D.P.-脱走兵追跡官-」、「クイーンメーカー」などほんとにネットフリックスオリジナル(ネットフリックスでしか見られない作品)もあるけど、多くは韓国のテレビで放送されたドラマ。これ、日本と韓国の違いで、韓国ではネットフリックスで韓国の放送局のドラマを配信するけど、日本はネットフリックスで日本の放送局のドラマはあまりやってない。だからネットフリックスでやってる韓国ドラマはネットフリックスだけでやってるの?という誤解を生みやすいのかなと思います。

角田さんもそうですが、2020年、コロナ禍で「愛の不時着」「梨泰院クラス」で韓国ドラマを見始めた日本の人が多く、コロナ禍で家にいる時間が増えてネットフリックス視聴者が増えたというのはもちろんあるのですが、今振り返って考えてみると、その時期、おもしろいドラマが立て続けに出てきました。これは私は韓国でリアルタイムでテレビでドラマを見たので実感として覚えているんですが、2019年後半から、パッと思いつくだけでも「椿の花咲く頃」「愛の不時着」「梨泰院クラス」「ハイエナ」「夫婦の世界」「賢い医師生活」「サイコだけど大丈夫」と、1年の間にどんどん出てきました。私はもともと韓国映画ファンで、韓国ドラマはそこまでたくさん見ている方ではなかったのですが、このころはとにかくおもしろいので毎週何時放送というのをチェックして、見たいドラマがある時は大きなテレビのある友達の家に転がりこんで見たりしてました。
そうこうしているうちに日本でも「愛の不時着」がすごい人気というので取材依頼がいっぱいくるようになり、最初は何が起きているのかよく分からないまま、「愛の不時着」の演出、出演者(ヤン・ギョンウォン、キム・ヨンミン)に対面でインタビューしたり、ソン・イェジンはメールの質問に手書きの手紙で答えてくれたりと、一つのドラマでこんなに取材したことないくらい取材して、日本での盛り上がりを実感するようになりました。
私自身、よく聞かれてなかなか答えに困る質問は、好きな俳優で、いっぱいいすぎて誰と答えるか悩むんですが、それでもあえて角田さんに聞いてみました。
その前に、角田さんが俳優の顔と名前がなかなか覚えられないなかで、覚えたのはイ・ビョンホンとオ・ダルスとユ・ヘジンというのもおかしくて、オ・ダルスもユ・ヘジンも基本的には脇役の俳優で(ユ・ヘジンは近年主演も多いですが)、主演俳優30人くらい覚えた後くらいに出てきそうな俳優の名前がイ・ビョンホンの次に出てきたので、やっぱり違うなあ、さすが角田さんと思いました(笑)
私が本にオ・ダルスが#MeTooを経て出演が難しくなったというのを書いていたので、角田さんは初めて知ってショックだったということなのですが、休み時間に個人的にこの話はもう少し詳しく解説しました。

そして好きな俳優ですが、角田さんがまず答えたのは、キム・テリでした。なるほど、私も好きですが、女優なんですねと言って初めて、あと…ウォンビン…と打ち明ける角田さん。
今回のトークで会場が一番わいたところでした。角田さんは映画を見るたびに、あの俳優誰だろうと調べては、ウォンビン…、え、またウォンビン…、最後は『アジョシ』(2010)で、誰あのかっこいい俳優は?と調べたらやっぱりウォンビンで、これだけ何回も調べるのは、好きなんだなと思った、という。ソル・ギョングとかが同じ俳優と気付かないのは、分かるんですよね、毎回全然違うキャラクターなので。ウォンビンは私の目にはいつもウォンビンに見えるので、かなり意外でした。ところで好きな俳優がウォンビンというのはちょっと残念で、もう長らくCMにしか出なくなってしまって、演技しているウォンビンは今後いつかまた見られる機会があるのかしら。
角田さんの素朴な質問のなかで印象に残った一つは、家族写真について。大きな家族写真が飾ってある家がよく出てくるけど、あれはお金持ちだから? 一般家庭でも実際あるの?という質問。あるある。お金持ちでなくても、たいていの家に大きな家族写真があります。
それで思い出して話したのが、チョン・ジェウン監督の映画『子猫をお願い』(2001)で、ペ・ドゥナ演じるテヒが家を出ていく時に、家族写真の自分を切り抜くシーン。あれ、私は気持ちがよく分かる。家族みんな仲良しというポーズが嫌で、私は私と、家族から自立していく姿。家族写真を写真館で撮るのも、それを家に飾るのも、私は抵抗あるなあ。ということを、角田さんの質問を受けて、初めて考えました。
『現地発 韓国映画・ドラマのなぜ?』という本を出して、ほんとに良かったなと思うのは、こうやってイベントなどを通して双方向で話が聞けること。本を書く作業自体はとても孤独だったけど、世に出ると、本を通してまたいろんな出会いがあって、私が思ってもみなかったような事実を教えてくれたり、意見をもらったり。久しぶりの再会もあったり。
今年上半期は自分の病気と母の死という大変なことが続き、いろんな意味で余裕のない日々でしたが、本を出したことで新しい世界が広がって、それに救われているような感じがします。
長々書きましたが、最後にキム・ボラ監督の映画『はちどり』(2019)のセリフで、もともと好きなセリフだけど、母が亡くなってたびたび思い出すセリフ。韓国語の響きが好きなので、あえて訳さないで韓国語のまま。

나쁜 일들이 닥치면서도 기쁜 일들이 함께 한다는 것.
우리는 늘 누군가를 만나 무언가를 나눈다는 것.
세상은 참 신기하고 아름답다.

2023.5.10

映画

筑摩書房から本出します『現地発 韓国映画・ドラマのなぜ?』

このたび、5月末に筑摩書房から『現地発 韓国映画・ドラマのなぜ?』という本を出版します。もうかれこれ執筆を始めて2年半ほどになり、その間、韓国映画とドラマの本を書いていると言っても、「どんな本?」と聞かれるとうまく答えられず、ちょっともどかしい感じでした。

こんな本です! と言える日がやっと来た。執筆が遅れ、これは本当に世に出るのかしらと不安になることもありましたが、なんとか、本当に出るみたいです。
韓国では2020年に『어디에 있든 나는 나답게(どこにいても、私は私らしく)』という本を出しましたが、これは中央日報の連載をもとにしていたので、そこまで生みの苦しみというのはなく、今回はゼロから編集者と目次を考え、こつこつ書き進めたので、ああ、本を出すのってこんなに大変なのかというのを初めてまともに経験しました。とはいえ、まず原稿ゼロの状態で「書きませんか?」と編集者に声をかけてもらえたこと自体、とても幸せなことで、やっと形になった今となっては感謝以外ありません。

内容についてざっくり紹介すると、全部で5章。
第1章 あいさつは「ご飯食べた?」
第2章 家族の存在感
第3章 #MeToo運動を経て
第4章 格差社会と若者の苦境
第5章 激動の韓国現代史
という感じです。

私自身が「なぜ?」と思ったことと、周りから「なぜ?」と聞かれること、その両方の答えを探してみました。特に2020年からコロナ禍でネットフリックスを通して韓国ドラマを見る人が増え、これまで見ていなかった新聞社の先輩とか、いろんな人からドラマで見ていて気になることを聞かれるようになりました。即答できるものもあれば、そういえばなんでだろうと調べるものもあり、それがこの本の執筆につながりました。

例えば第1章の①は「チキン店が多いわけ/早期退職者のお手軽開業」
とにかくドラマ『愛の不時着』以来、日本で韓国のチキンに対する関心がグーッと上がって、コロナ禍で韓国チキン店が日本でもいっぱいできたけども、それでも韓国のチキン店の多さにはまったくかなわない。世界のマクドナルドの総店舗数よりも韓国内のチキン店の数が多いくらい。
『愛の不時着』のほか、ドラマ『応答せよ1997』(おきまりのサッカーテレビ観戦時のチキン。そしてそれはやっぱり日韓戦。これは『愛の不時着』も同じ)、そしてチキンの映画と言ってもいいくらいのメガヒット映画『エクストリーム・ジョブ』に言及しながら、韓国のチキンにまつわるあれこれを書いています。

映画・ドラマそのものよりは、その背景になっている実際の韓国にフォーカスした内容です。
興味のある方、お読みいただけるとうれしいです。

2023.3.27

映画

朝鮮学校無償化訴訟追ったドキュメンタリー「差別」

キム・ジウン&キム・ドヒ監督のドキュメンタリー映画「差別」が韓国で公開中で、私は2021年のDMZ国際ドキュメンタリー映画祭の時から何度か見ていたが、未見の友達と一緒に見に行った。
キム・ジウン&キム・ドヒ監督との付き合いは前作のドキュメンタリー映画「航路 済州、朝鮮、大阪」が大阪で劇場公開された2015年から。この映画も在日コリアンにまるわる映画で、特に理解の難しい「朝鮮籍」について、韓国へ入国できない(政権によって変わる)という問題を2人の在日演劇人を対比させながら描いていた。この時私は朝日新聞大阪本社所属で、監督へインタビューしたのをきっかけに親しくなった。2人は釜山の監督で、釜山国際映画祭に行くたびに一緒に飲みに行くようになった。
「差別」は朝鮮学校無償化訴訟を追った映画で、私は監督たちが訴訟判決が出るたびに日本へ撮影に通っているのをずいぶん前から知っていた。朝鮮学校を高校授業料無償化の対象から除外したことをめぐり、朝鮮学校側が国を相手取って起こした訴訟で、東京、大阪、名古屋、広島、福岡で訴訟を提起したが、最終的にはいずれも原告敗訴となった。敗訴のニュースが流れるたび、監督たちの顔が目に浮かんだ。原一男監督のドキュメンタリー映画「ニッポン国VS泉南石綿村」のように原告勝訴となれば、映画もドラマチックな結末を迎えられるが、原告敗訴では厳しいだろうと思ったからだ。
「差別」の韓国での公開(3月22日)に先立ってソウルで開かれた試写会では上映後のトーク進行役を頼まれた。この日の登壇者はキム・ジウン&キム・ドヒ監督のほか、映画に主役級で登場する俳優のカン・ハナさん、キム・ミングァン弁護士、そして「朝鮮学校『無償化』排除に反対する連絡会共同代表の佐野通夫先生の計5人+司会の私。


写真は俳優のカン・ハナさん。映画撮影当時は朝鮮学校に通っていた

1時間にわたっての質疑応答、通訳としては何度も経験しているので、韓国語での進行とはいえ、通訳する時みたいに必死でメモする必要もなく、登壇者の皆さんもよくしゃべってくれて、案外楽だった。
この試写会後のトークと、公開後に見た時の上映後のトーク、共通して出てきた話の一つは、朝鮮学校の生徒へのインタビューシーンで、祖国は北朝鮮、故郷は韓国と答えた点だった。これは多くの韓国の人にとっては理解の難しい部分なのかもしれない。
在日コリアンの多くが朝鮮半島の南側(分断前)出身だが、祖国の言葉や文化を学ぶ学校を支援したのは、北朝鮮だった。韓国系の学校もあるにはあるが、朝鮮学校に比べると少ない。その他にも様々な背景はあるが、印象的だったのは、キム・ジウン監督の「仮に北朝鮮を支持していたとしても、だからといって、差別されていいのか」という指摘だった。
この訴訟にはキム弁護士のような在日だけでなく、日本人の弁護士もたくさん参加した。それは朝鮮学校を守ろう、というだけでなく、国による差別に抗議するという意味合いも大きかったのではなかろうか。裁判の結果は原告敗訴だが、日本でも韓国でも支援の輪が広まり、こうやって映画にもなって、この問題について考えるきっかけができたのは、訴訟を起こした最大の成果だったように思う。
日本では大阪のシネ・ヌーヴォで4月1日から上映予定だそうです。

2023.1.20

映画

ヒョンビン2本立て 「交渉」と「共助2」

年末年始を日本で過ごし、韓国へ戻ったとたん、旧正月の連休(2023年は1月21~24日)。日本にいる間に見逃した映画やドラマを見まくった。

意識したわけではなかったけど、ヒョンビン主演の映画を連日見た。一つは1月18日に公開されたばかりの「交渉(原題)」。そして昨年9月に公開されたけども見逃していた「共助2:インターナショナル(原題)」。

「交渉」はイム・スルレ監督、ファン・ジョンミン、ヒョンビン主演ということで撮影時から楽しみにしていた1本。日本でドラマ「愛の不時着」が大流行していた2020年、私のもとにもヒョンビンのインタビュー依頼はたくさん来たが、当時、ヒョンビンは「交渉」撮影のためヨルダンに行っていた。コロナ禍で、海外ロケが難しい時期だったので、よく撮りに行ったなと思った。

イム・スルレ監督は韓国映画界の中心で活躍する数少ない女性監督だが、それにしても、ファン・ジョンミン、ヒョンビン主演で海外ロケという規模感は韓国の女性監督としては初めてだと思う。

映画は2007年、韓国の教会の信者たちが宣教活動のためアフガニスタンへ入り、タリバンに拉致された実際の事件がモチーフとなっている。救出のため奔走する外交官をファン・ジョンミン、国家情報院の要員をヒョンビンが演じた。

イム・スルレ監督の前作「リトル・フォレスト 春夏秋冬」とはまったく正反対とも言っていい、緊張感いっぱいの映画だった。ひげを生やしたワイルドなヒョンビンが活躍するアクションシーンもあったが、むしろ交渉にあたる外交官と要員の苦悩に焦点が当たっていたのが、イム監督らしい。タリバンの要求をそのまま受け入れれば、国際的に韓国が非難を受けかねない。人命救助と、国としての立場、特に米国との関係。その間で葛藤する。

ヒョンビンは、結婚したソン・イェジンと、ドラマ「愛の不時着」以前に共演していて、その映画のタイトル(邦題)が「ザ・ネゴシエーション」だった。原題は「협상」。今回は「교섭」。いずれも日本語に訳すと「交渉」で、ちょっとややこしい。

もう一本の「共助2」は、韓国では2017年に公開された「コンフィデンシャル/共助」(原題は「共助」)のシリーズ2で、ヒョンビン(北朝鮮)とユ・ヘジン(韓国)のコンビに、ダニエル・ヘニーが加わって、北朝鮮、韓国、米国3カ国の共助(合同捜査)となった。監督は「共助」がキム・ソンフン、「共助2」がイ・ソクフンと、別の監督だったけどいずれもヒットして、「共助2」は観客数698万人。コロナ禍ではかなりのスコアだ。

韓国へ派遣され、共助を求める北朝鮮の刑事リム・チョルリョン(ヒョンビン)、再びコンビを組む韓国の刑事カン・ジンテ(ユ・ヘジン)、そこへ同じ犯人を追うFBIのジャック(ダニエル・ヘニー)。

「共助」でいい味出していたカン・ジンテの義妹役ユナ(少女時代)が「共助2」でさらに存在感が増して、引き続きヒョンビンに恋しながら、ダニエル・ヘニーのかっこよさにも酔っているという、コメディエンヌっぷりを発揮して盛り立てた。

「共助」シリーズはアクション&コメディーで、比べようがないけども「交渉」のような葛藤は描かれず、だけども共通していたのは米国の存在。韓国は日本同様、米国の影響下にあるというのを改めて感じる2本だった。

2023.1.10

映画

日本大衆文化開放第一号映画「家族シネマ」

私はフリーランスで仕事をしながら、韓国で大学院にも通っていて、研究テーマとしては日韓文化交流、なかでも映画を中心にやっている。日韓文化交流の大きな節目の一つは1998年から韓国で段階的に進められた「日本大衆文化開放」だ。

逆に言えば、それまで韓国では日本の大衆文化の流入を制限していた。そしてつい最近まで、韓国で日本大衆文化開放後公開された第一号の映画は北野武監督の「HANA-BI」(1998)だと思っていた。が、実はパク・チョルス監督の「家族シネマ」(1998)だということが分かった。原作は在日コリアンの柳美里の同名小説。芥川受賞作だ。

「HANA-BI」は日本映画だが、「家族シネマ」は韓国映画。ではなぜ制限/開放の対象なのかと言えば、それまで日本映画だけでなく、日本の俳優が出ている韓国映画も制限されていたからだ。「HANA-BI」は開放後公開された日本映画の第一号には違いないが、実はその少し前に公開された韓国映画の「家族シネマ」が、開放によって公開された最初の映画だったということだ。

日本映画だけでなく、日本の俳優が出ている韓国映画もダメだったというのには、ちょっとびっくりした。このことを指導教授に話してみたら、「『家族シネマ』って日本映画じゃなかったの?」と言われた。そう思っている人が多いようだ。なぜなら、出ている俳優が日本の俳優で、舞台も日本だから。もちろんセリフも日本語だ。一見、日本映画に見えるがスタッフは監督をはじめ皆さん韓国人。

誰が出ているのかと言えば、在日コリアンの小説家として知られる梁石日、柳美里の実妹の柳愛里、伊佐山ひろ子など。私はこの映画の存在は知っていたが、見たことがなかったので、日本でDVDを購入して見てみた。

見る前に調べていて、評価はあまり高くないということは知っていた。映画としてよくできているとは言い難いけども、個人的にはおもしろかった。

何がおもしろいかって、梁石日さんのいい加減なお父ちゃん役の演技。関西弁と標準語の混ざったようなしゃべり方で、いちいち胡散臭いけど憎めない。ぎこちなさは、映画の中で映画を撮っているという設定上なのか、素なのか(プロの役者ではないので)、分からないけど終始ニタニタしながら見てしまった。それに加えて、監督役の金守珍さん。新宿梁山泊代表で、俳優でもあるけど、演出家として知られる。その金守珍さんが監督役をやっているから、これまた演技なのか素なのか。金守珍さんは近年インタビューやミーティングなどで直接お会いする機会があり、若い金守珍さんを見るのも個人的には新鮮だった。

映画の内容については原作小説もあるのでここに詳しくは書かないけれど、パク・チョルス監督の当時のインタビュー内容を少し紹介する。

梁石日さんのキャスティングについては「ドキュメンタリー的に撮るには、あまり滑らかに演技する人よりも、どこかぎくしゃくする人のほうがいいと思った」「梁石日さんに注文したことは、きっちりセリフを覚えなくていいから、ごく普通にやってください。固くならないで楽にやってくださいということだった」

梁石日さんの印象については「『血と骨』は凄まじい話のようですが、そんな作品を書く人がこんなユーモラスな人物なのかと思った」

と述べている。私も梁石日さんに会ったことがあるけども、在日の大御所作家というイメージだったので、こんなコミカルな演技をやっていたというのは衝撃だった。

ちなみに、金守珍さんは梁石日の小説『夜を賭けて』を2002年に映画化したが、これは日韓の俳優が共演し、韓国で撮影された。

日本大衆文化開放は韓国で日本の映画が見られるようになっただけでなく、日韓合作が増えるきっかけともなった。その最初の例が「家族シネマ」だった。