COLUMN

2023.3.6

雑記

ウェブサイト、オープンしました!

本日(2023年3月6日)、個人のウェブサイトをオープンしました。

遡ること、昨年1月末(だったかな)、常日頃お世話になっているクオン(神保町の出版社で、韓国ブックカフェ「チェッコリ」を営む)の金承福社長から、「何でも気軽に書ける、個人のウェブサイト作ったら?」とアドバイスをもらったのが始まりでした。そして今日、これは偶然ですが、ソウルで金承福社長とランチをして、「社長のアドバイスのおかげで、こんなステキなウェブサイトができました」とご報告しました。
これまで連絡先を公開していなかったため、執筆しているメディアや所属している研究所などに私宛の問い合わせがいったり、SNSのメッセージで「これしか連絡先が分からず…」と申し訳なさそうに仕事の依頼が来たりと、周りに迷惑かけてるなと思ってました。
2017年1月に朝日新聞を退社し、その年の3月から韓国の大学院に留学。そこからなんとなくフリーランスで仕事を始めたので、「何をやっているのかよく分からない」と指摘もよく受けていました。
それらを解決するためにも、ちょっとぜいたくではあるけど、ウェブサイトを作ろうと思い立ち、相談したのが、ウェブサイトを作る仕事をしている高校時代の友達でした。
こっちはかるーい気持ちだったのが、すごい本格的にデザインをやってくれる会社で、写真撮影から、アイディア会議(私も会社に出向いたり、韓国からズームでも何度か)から、本当にその過程自体が私には一つ一つ新鮮で、ああ、プロのデザイナーというのはこういう仕事をやっていたのかと、目から鱗でした。
私の話(やっていること、やりたいこと、大事にしていること、サイトを通して伝えたいことなど)を聞いたり、私の書いたものを読んだりして、私と私の仕事について特徴を捉えてくれて、それをデザイン化するという作業。そして、当初考えていたのとは次元の違う、とっても個性的でありながら、見やすい、このサイトが誕生しました。本当にありがとうございました。

すでに「見積もり聞きたい」という連絡が私のもとに届いているので、ウェブサイトを作ってくれた会社をここに明記しておきます。
株式会社ダンスダンスデザイン
https://dddesign.jp/

2023.3.2

言語

『世界のふしぎな色の名前』翻訳家対談

2月に発売された『世界のふしぎな色の名前』韓国語版、翻訳したパク・スジンと成川彩が振り返りました。

 

パク・スジン(以下、スジン): 最初に『世界のふしぎな色の名前』の翻訳について依頼が来た時、やろうと思ったポイントは?

 

成川彩(以下、彩): 色についての小話がおもしろく、訳しながら色についてのいろんなエピソードを調べるのも楽しそうだと思った。スジンは?

 

スジン: 最初、試しに三つの色についての話を訳した時、正直言って一つ一つが短くて、おもしろい翻訳作業になりそうだと思った。本格的に始めてからは、考えが浅かったとちょっと後悔した。

 

彩: どういう点で難しかった?

 

スジン: 色の名前の誕生についての話で、エピソードが明確で、情報を得られるものは良かったけど、抽象的だったり、「二人静」のような日本の伝統文化にまつわる話が難しかった。日本独特の色の名前を韓国語にいかに翻訳するかというのも迷った。

 

彩: それは私も迷った。例えば「昆布茶色」は、内容を読めば、昆布みたいな茶色で、昆布茶の色ではないんだけど、それを韓国語で「다시마차색」と発音通り訳してしまうと、「茶色」というのが伝わらない。結局、「다시마갈색」とした。何が正解ということはないと思うけど、できるだけ原文の意味を生かしつつ、韓国の読者に読みやすくというのを両立させるのが一番難しかった。

 

スジン: 私はオンニ(彩)と一緒に翻訳作業をしながら、そういう日韓の違いについてチェックを受けながら訳すことができて良かった。今回は翻訳期間があまりにも短くて、情報を調べる時間が十分になかったけど、オンニもその点で難しかったのでは?

 

彩: 実質、翻訳期間は一冊まるまるで1カ月半だったもんね。私もとにかく調べるのに苦労した。「鈍色」では『源氏物語』の引用部分があって、古語なので日本語でもどういう意味なのか解釈が難しいのを韓国語に訳すのは本当に難しかった。

 

スジン: 『源氏物語』とか『万葉集』とか、日本人なら当然知っている書物の名前を韓国の読者に対してどこまで補足説明するのかというのも悩んだところ。あまり補足説明が多くても読みにくくなるし、加えたり削ったり、基準を決めるまでに時間がかかった。

 

彩: 逆に翻訳していておもしろかったこと、あるいは新たに学んだことは?

 

スジン: 知らなかった色の名前について知るのがまずおもしろかった。例えば、醤油の色を「紫」ということ、特に紫は昔から高貴な色で、だから貴重な調味料だった醤油を「紫」と言う、というのもおもしろいと思った。江戸時代には紫の使用は庶民には禁じられ、似た色を工夫して作り出し、それを「似紫」と呼んだというエピソードなど、時代背景がつながって勉強になった。

オンニは日本語を韓国語に訳すなかで新たに学んだことがあった?

 

彩: そもそも、韓国の色の表現がとっても多彩で、例えば黄色でも、노란、노랑、노르스름、노리끼리、누런……などなど。それぞれどう使い分けたらいいのかよく分からず、もっと多彩な表現をしたかったけど、そこは私の韓国語力の限界だった。今回の翻訳を通して色に関する韓国語の語彙力はかなり伸びたと思う。

一番好きな色は?

 

スジン: もともと青が好きで、「ティファニー・ブルー」とも呼ばれる「ロビンス・エッグ・ブルー」。ロビンという鳥の卵の色なんだけど、ロビンという鳥は「幸せを運ぶ鳥」とされ、幸福感を味わえる色なのが良かった。

 

彩: 本が出来上がって、何人かにプレゼントしたら、中のカラフルな見た目にみんなが喜んでくれるけど、確かに「ロビンス・エッグ・ブルー」の鮮やかさは特に目を引くよね。

 

スジン: オンニはどの色が好き?

 

彩: うーん、「常盤色」かな。ちょっと地味な気もするけど、変わらぬ緑。自然いっぱいの高知で育った私には、やっぱり一番自然のベーシックな色が落ち着く。変わらないことへの安心。色の名前にもそれが表れていて、好きだな。

 

スジン: スジンと一緒に翻訳してみてどうだった? もともとオンニに来た依頼を私と一緒にしようと声をかけてくれたじゃない?

 

彩: スジンを翻訳家デビューさせたかった。正直、本当に翻訳期間が短くて、もっとゆっくり心行くまで調べたかったけど、逆にあっという間に本が出来上がって、こうやって手に取って見ると、達成感でいっぱい。しんどかったのも忘れて、またやりたいと思ってしまう。翻訳家デビュー、おめでとう!!!

 

スジン: 翻訳そのものは1カ月で終わらせないといけないスケジュールで(オンニがチェックする時間が必要で)、できるかどうか、不安でもあったけど、デビューさせようというオンニの気持ちが伝わってきた。大変だったけど、こうやって形になって、一番はオンニに感謝してるし、あきらめなかった私にも感謝(笑)

 

2023.2.11

地方旅

南原の旅①薩摩焼のルーツを訪ねて

全羅北道・南原(ナムウォン)に行って来た。韓国で最も有名なラブストーリー「春香伝」の舞台として知られる街だが、今回の目的は、薩摩焼のルーツを訪ねて「沈壽官陶芸展示館」に行くこと。残念ながら館内は写真撮影が禁止だった。

さて、知ってる人は知ってる話だが、鹿児島の薩摩焼を代表する沈壽官(ちんじゅかん/심수관)は、現在15代。もともとは朝鮮半島がルーツだ。豊臣秀吉の命による2度の朝鮮半島への侵攻、文禄・慶長の役。文禄の役が1592~1593年、慶長の役が1597~1598年。と、日本では言うようだけども、韓国では1592~98年を壬辰倭乱(임진왜란, イムジンウェラン)と言い、そのうちの97~98年を丁酉再乱(정유재란, チョンユジェラン)とも言う。ちょっとややこしい。

とにかく、慶長の役(丁酉再乱)の時に南原から連れてこられた陶工たちの中に、沈壽官の先祖、沈当吉がいた。という縁で、南原に「沈壽官陶芸展示館」があると知り、訪ねてみた。

沈壽官については、おそらく司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』で知ったという人が多いと思う。私もたぶんそうなんだけど、今年1月、日本帰国中にたまたま日本橋高島屋で「薩摩焼十五代沈壽官展」をやっていて、十五代のギャラリートークもあるというので、聴きに行った。

今ちょうど沈壽官にまつわるドキュメンタリー映画を日本で撮っていて、ギャラリートークにも監督はじめ撮影チームが来ていた。その関係者から、南原にも展示館があるというのを聞いた。

「沈壽官陶芸展示館」は、春香テーマパークの中にあった。春香伝とは関係ないんだけども、南原に行って分かったのは、南原はどこもかしこも春香〇〇というネーミングだらけ。

展示館の玄関には十四代沈壽官の胸像があった。館内にはたくさんの歴代沈壽官による薩摩焼が展示されていて、薩摩焼の歴史年表など詳しい説明、映像も。それによれば、薩摩焼が世界的に知られるきっかけとなったのは1867年のパリ万博だったそう。幕末から明治へという時期を考えれば、薩摩藩だったというのも、大きかったんだろうな。

私はまだ鹿児島の沈壽官窯には行ったことがなく、今年は行こうと思ってる。館内に展示されてる写真の中には、盧武鉉大統領(当時)と小泉純一郎首相(当時)が十五代沈壽官と共に撮った写真もあった。写真説明は沈壽官窯に訪れた時の写真となってたけど、調べると、たぶん2004年の鹿児島で開かれた日韓首脳会談の時、茶会に十五代も同席して一緒に撮った写真みたい。盧武鉉大統領は沈壽官窯を訪れてるけど、いくら調べても小泉首相と一緒に訪ねたというのは出てこないから、展示館の写真説明が間違ってる。こういうのちゃんとしてくれないと困るな。

私が中高生の時には「豊臣秀吉の朝鮮出兵」と習った気がするけど、それも数行だったかな。でも、韓国に来てみると、壬辰倭乱はすごい存在感で、そもそも光化門のど真ん中に李舜臣(イ・スンシン)将軍(文禄・慶長の役で朝鮮水軍を率いた将軍)の像があるほど、歴史的ヒーローだ。今回、沈壽官をきっかけに壬辰倭乱についても学び直そうと思います。

2023.1.24

雑記

旧正月のジョン(情)とジョン(チヂミ)

2017年から韓国を拠点に生活を続けいているが、年末年始はたいてい日本へ戻っている。韓国の寒さから逃げたいのもあるし、家族・親戚と過ごす時間でもあるからだが、一方の韓国は旧暦の正月に家族・親戚と過ごす。2023年は21~24日が旧正月の連休だった。

私はそもそもあんまり寂しさを感じない方で、むしろ一人で過ごすのもけっこう好きだが、旧正月の連休に韓国にいると、寂しくないか、ちゃんと食べてるか心配して連絡をくれる人がけっこういる。私なんか年末年始家族・親戚と過ごしながら、誰かが寂しく過ごしてるんじゃないかなんて考えたことがなく、優しい人たちだなと心底思う。

ある日本の友人が「韓国の人はあったかいイメージがある」と言っていた。そういう優しさを韓国語で「다정하다/タジョンハダ」と言う。タジョンは漢字で書けば「多情」だ。たっぷりの情(ジョン)を分けてくれるあたたかい人たち。その情を分ける一番分かりやすい方法が食べ物を分けることだ。

特に旧正月に友人が欠かさず届けてくれる食べ物の一つにジョン(チヂミ)がある。日本ではチヂミと言うが、韓国語では「전/ジョン」だ。日本でよく見るお好み焼きみたいな大きな丸いのでなく、一つ一つは小さく、お肉のジョン、魚のジョン、ズッキーニのジョンなど様々だ。普段も(特にマッコリのあてとして)食べるが、旧正月をはじめ名節の代表メニューだ。家族・親戚で集まって大量のジョンを焼く様子は映画やドラマにもよく出てくる。そのジョンを私にもおすそ分けしてくれるのだ。

私はジョンをもらうたびに、韓国の人のジョン(情)を思い浮かべる。

とは言え、もはや食べ物の心配をしてもらわなくても、連休中も開いている店はけっこう多い。かつては(2000年代前半)本当に見事にどこも閉まっていて、韓国中華のジャジャン麺の出前くらいしか営業してなかった。みんな閉まってしまうというのも、今思えば特別感があって良かったような気がするけども、ほとんど日常と変わらなくなってきた。

2023.1.20

映画

ヒョンビン2本立て 「交渉」と「共助2」

年末年始を日本で過ごし、韓国へ戻ったとたん、旧正月の連休(2023年は1月21~24日)。日本にいる間に見逃した映画やドラマを見まくった。

意識したわけではなかったけど、ヒョンビン主演の映画を連日見た。一つは1月18日に公開されたばかりの「交渉(原題)」。そして昨年9月に公開されたけども見逃していた「共助2:インターナショナル(原題)」。

「交渉」はイム・スルレ監督、ファン・ジョンミン、ヒョンビン主演ということで撮影時から楽しみにしていた1本。日本でドラマ「愛の不時着」が大流行していた2020年、私のもとにもヒョンビンのインタビュー依頼はたくさん来たが、当時、ヒョンビンは「交渉」撮影のためヨルダンに行っていた。コロナ禍で、海外ロケが難しい時期だったので、よく撮りに行ったなと思った。

イム・スルレ監督は韓国映画界の中心で活躍する数少ない女性監督だが、それにしても、ファン・ジョンミン、ヒョンビン主演で海外ロケという規模感は韓国の女性監督としては初めてだと思う。

映画は2007年、韓国の教会の信者たちが宣教活動のためアフガニスタンへ入り、タリバンに拉致された実際の事件がモチーフとなっている。救出のため奔走する外交官をファン・ジョンミン、国家情報院の要員をヒョンビンが演じた。

イム・スルレ監督の前作「リトル・フォレスト 春夏秋冬」とはまったく正反対とも言っていい、緊張感いっぱいの映画だった。ひげを生やしたワイルドなヒョンビンが活躍するアクションシーンもあったが、むしろ交渉にあたる外交官と要員の苦悩に焦点が当たっていたのが、イム監督らしい。タリバンの要求をそのまま受け入れれば、国際的に韓国が非難を受けかねない。人命救助と、国としての立場、特に米国との関係。その間で葛藤する。

ヒョンビンは、結婚したソン・イェジンと、ドラマ「愛の不時着」以前に共演していて、その映画のタイトル(邦題)が「ザ・ネゴシエーション」だった。原題は「협상」。今回は「교섭」。いずれも日本語に訳すと「交渉」で、ちょっとややこしい。

もう一本の「共助2」は、韓国では2017年に公開された「コンフィデンシャル/共助」(原題は「共助」)のシリーズ2で、ヒョンビン(北朝鮮)とユ・ヘジン(韓国)のコンビに、ダニエル・ヘニーが加わって、北朝鮮、韓国、米国3カ国の共助(合同捜査)となった。監督は「共助」がキム・ソンフン、「共助2」がイ・ソクフンと、別の監督だったけどいずれもヒットして、「共助2」は観客数698万人。コロナ禍ではかなりのスコアだ。

韓国へ派遣され、共助を求める北朝鮮の刑事リム・チョルリョン(ヒョンビン)、再びコンビを組む韓国の刑事カン・ジンテ(ユ・ヘジン)、そこへ同じ犯人を追うFBIのジャック(ダニエル・ヘニー)。

「共助」でいい味出していたカン・ジンテの義妹役ユナ(少女時代)が「共助2」でさらに存在感が増して、引き続きヒョンビンに恋しながら、ダニエル・ヘニーのかっこよさにも酔っているという、コメディエンヌっぷりを発揮して盛り立てた。

「共助」シリーズはアクション&コメディーで、比べようがないけども「交渉」のような葛藤は描かれず、だけども共通していたのは米国の存在。韓国は日本同様、米国の影響下にあるというのを改めて感じる2本だった。

2023.1.10

映画

日本大衆文化開放第一号映画「家族シネマ」

私はフリーランスで仕事をしながら、韓国で大学院にも通っていて、研究テーマとしては日韓文化交流、なかでも映画を中心にやっている。日韓文化交流の大きな節目の一つは1998年から韓国で段階的に進められた「日本大衆文化開放」だ。

逆に言えば、それまで韓国では日本の大衆文化の流入を制限していた。そしてつい最近まで、韓国で日本大衆文化開放後公開された第一号の映画は北野武監督の「HANA-BI」(1998)だと思っていた。が、実はパク・チョルス監督の「家族シネマ」(1998)だということが分かった。原作は在日コリアンの柳美里の同名小説。芥川受賞作だ。

「HANA-BI」は日本映画だが、「家族シネマ」は韓国映画。ではなぜ制限/開放の対象なのかと言えば、それまで日本映画だけでなく、日本の俳優が出ている韓国映画も制限されていたからだ。「HANA-BI」は開放後公開された日本映画の第一号には違いないが、実はその少し前に公開された韓国映画の「家族シネマ」が、開放によって公開された最初の映画だったということだ。

日本映画だけでなく、日本の俳優が出ている韓国映画もダメだったというのには、ちょっとびっくりした。このことを指導教授に話してみたら、「『家族シネマ』って日本映画じゃなかったの?」と言われた。そう思っている人が多いようだ。なぜなら、出ている俳優が日本の俳優で、舞台も日本だから。もちろんセリフも日本語だ。一見、日本映画に見えるがスタッフは監督をはじめ皆さん韓国人。

誰が出ているのかと言えば、在日コリアンの小説家として知られる梁石日、柳美里の実妹の柳愛里、伊佐山ひろ子など。私はこの映画の存在は知っていたが、見たことがなかったので、日本でDVDを購入して見てみた。

見る前に調べていて、評価はあまり高くないということは知っていた。映画としてよくできているとは言い難いけども、個人的にはおもしろかった。

何がおもしろいかって、梁石日さんのいい加減なお父ちゃん役の演技。関西弁と標準語の混ざったようなしゃべり方で、いちいち胡散臭いけど憎めない。ぎこちなさは、映画の中で映画を撮っているという設定上なのか、素なのか(プロの役者ではないので)、分からないけど終始ニタニタしながら見てしまった。それに加えて、監督役の金守珍さん。新宿梁山泊代表で、俳優でもあるけど、演出家として知られる。その金守珍さんが監督役をやっているから、これまた演技なのか素なのか。金守珍さんは近年インタビューやミーティングなどで直接お会いする機会があり、若い金守珍さんを見るのも個人的には新鮮だった。

映画の内容については原作小説もあるのでここに詳しくは書かないけれど、パク・チョルス監督の当時のインタビュー内容を少し紹介する。

梁石日さんのキャスティングについては「ドキュメンタリー的に撮るには、あまり滑らかに演技する人よりも、どこかぎくしゃくする人のほうがいいと思った」「梁石日さんに注文したことは、きっちりセリフを覚えなくていいから、ごく普通にやってください。固くならないで楽にやってくださいということだった」

梁石日さんの印象については「『血と骨』は凄まじい話のようですが、そんな作品を書く人がこんなユーモラスな人物なのかと思った」

と述べている。私も梁石日さんに会ったことがあるけども、在日の大御所作家というイメージだったので、こんなコミカルな演技をやっていたというのは衝撃だった。

ちなみに、金守珍さんは梁石日の小説『夜を賭けて』を2002年に映画化したが、これは日韓の俳優が共演し、韓国で撮影された。

日本大衆文化開放は韓国で日本の映画が見られるようになっただけでなく、日韓合作が増えるきっかけともなった。その最初の例が「家族シネマ」だった。

2023.1.3

グルメ

「大阪に住む人たち」が大好きなてっちり

「大阪に住む人たちTV(오사카에 사는 사람들 TV)」というユーチューブをご存知だろうか。韓国では数ヶ月前から会う人会う人に「見てます」と言われる。これが数年前はテレビ東京の「孤独のグルメ」だった。いずれも私は関係者でも何でもないのだが、日本人を見ると言いたくなるようだ。共通点は「食」で、地元の人が行くような飲食店を紹介する。

「孤独のグルメ」は松重豊演じる井之頭五郎が一人でお店に入り、独り言ちながらご飯を食べるドラマだが、韓国でも字幕付きで放送され、人気を呼んだ。一方、「大阪に住む人たち」は、そもそも韓国語で発信している。「松田部長」と呼ばれる日本人男性が大阪かいわいのお店に入り、カメラマンや同行しているスタッフ(同僚?)に語りかけながら食べるのだが、その松田部長の韓国語があまりにも流暢なのだ。

私に「見てます」と言ってくる人も必ず「彩より韓国語がうまい」と言う。見てみたら、確かにめちゃくちゃうまい。自信たっぷりに、食にまつわるうんちくも語ってくれる。というわけで私も韓国にいる間にはまってしまい、「今度大阪に戻ったら、『大阪に住む人たち』に出ているお店にいってみるぞ」と心に決めていた。

紹介されている数あるお店の中から今回行ったのは、「ふぐくじら」というお店。その名の通り、ふぐとくじらのお店で、「え、くじら?」とも思ったけど、今回は松田部長が勧めるふぐのコースに専念した。場所は道頓堀からまあまあ近いけども、路地裏で、観光客が探すのはちょっと難しそうだが、案の定、韓国の若者がたくさん来ていた。スマホの地図を見て探すのは地元大阪人も外国人も同じのようだ。

ふぐを選んだのは、大阪と言えば、ふぐだから。これは松田部長も強調していたけど、大阪の人はふぐをよく食べる。ふぐの王様とも呼ばれる「とらふぐ」の消費量は日本一で、全国の約6割を大阪で消費しているそう。

私が行ったのは1月2日で、お店やってるかなと思いつつ元旦に電話してみたら、騒々しい中で店員が電話に出たので、たぶん元旦もやってたみたい。

よく食べると言っても高級なので、そう気安くは食べられないが、「ふぐくじら」はまあまあリーズナブルだった。皮湯引き、てっさ、唐揚げ、焼きふぐ、てっちり、雑炊というふぐ三昧のコースを注文し、お腹がはちきれそうなくらい、たらふくふぐを食べた。焼きふぐは初めて食べたけど、にんにくたっぷり、唐辛子もかかっていて、韓国の人が好きそうな味だった。

これは中央日報のコラムにも書いたけど、大阪でふぐの鍋料理を「てっちり」と言うが、韓国でも「ポクチリ(복지리)」と言う。韓国語のチリは、赤いスープに対して赤くないスープを指すのだが、どうも「てっちり」から来ているようだ。もっと言うと、フグを「ポク(복)」「ポゴ(복어)」と言うのも、発音が似ている。どっちが先かはともかく、大阪は韓国と行き来の多い都市で、やはり食文化も韓国と共通しているところが多々ある。

ちなみに韓国では「明けましておめでとうございます」を「セヘ ポク マニ パドゥセヨ(새해 복 많이 받으세요)」と言うが、直訳すれば「新年、福をたくさん受け取ってください」。福もフグも同じ発音の「ポク(복)」。なんとなくお正月だし、ぷっくりふくらんだふぐを食べるのは縁起が良さそうと思ったけど、ぴったりの選択だったと今書きながら気付いた。